短歌とTANKA

前登志夫の5首観賞 『子午線の繭』より        喜多弘樹

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●かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり

世界のかなしみは、この途方もない明るさのもたらすものだ。あの一本の樹のふかい陰翳は、私の愛の形象だ。

発表時は下の句が「一本の樹の羞らふ陰翳(かげり)」だったが、歌集では上の句と呼応するように表現が「けり」と純化されている。これは一首の意味よりも一首の世界を歌のしらべをもって提示し、より深く広くした無碍のはからいというべきではなかろうか。

 

●けものみちひそかに折れる山の上(へ)にそこよりゆけぬ場所を知りたり

けもの道だ。そこはひそかに折れて人を山上へと誘っていく。もうその先へは行けない。そこは禁じられた異界。

けもの道とは動物的本能をもってして山中の奥へと続く道だが、途中でいづこともなく消え去ってしまう。道ではない。ただ、けものたちの通った跡を草や木がなぎ倒されたり、折れまがったりして、さながら道のように見せているだけのまぼろしの通い路だ。

 

●森出でて町に入りゆくしばらくは縞目の青く身に消えのこり

森を出てふもとの町へ。道行く人々は私を奇異の目で見る。ああ、私の体にはまだ獣の蒼い縞目が消え残っている。

山人となったあかしのように、人とけだものとがひとつに重なり合った姿の象徴が縞目なのである。永遠に消えることのないけだものの形象をもってして都市や文明に向かって咆哮するかなしい姿。まったき野生の声がないと歌に霊魂がこもることはない。

 

●暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か

 暗い山道に沿う小川に群れ飛んでいた蛍が私の歩みにまとわりついてくる。明滅する光の帯。私とはどんな河か。

 「われはいかなる河か」という問いかけは重たい。それは過去から未来へと、あるいは未来から過去へと流れる永遠の時間の河だ。蛍は現実の蛍であると同時に、もはやここでは形而上の存在として甘い世界の蜜を求めて人間という生物にまとわりついてくる。

 

●艶めきて冬の筏は流れゆく望郷の歌ふたたびあるな

 伐り出した木材を筏に組んでその川を下っていく。なんとつめたく艶めいた時間。もう望郷の感情など断たねばならぬ。

 故郷に定着しようという決心をした以上、もはや他郷にあって故郷を思う望郷歌は不要となった。「ふたたびあるな」と自らに言い聞かせながら、どこかで漂泊者の魂魄を捨て去ることにいくばくかのためらいもある。定住漂泊のはじまりを告げる歌だ。

 

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