旧仮名遣いの促音拗音の文字表記の問題について 田中教子
今日の歌壇における旧仮名遣いの促音拗音の文字表記の問題について、しばし考えてみたい。
日本語の促音拗音の仮名遣いは、一般的に、戦前戦後で大きくかわったと考えられている。明治から戦前は契沖仮名遣いをもとにした歴史的仮名遣いがおこなわれていた。それは具体的にどのようなものであったか、文豪・森鴎外の「仮名遣意見」を見てみよう。
さう云ふのは「ちくしやう」と云ふ國語と認めて宜しい。
新しい語 で言ひましても、輸出を「ゆしゆつ」と云ふ。
(森鴎外「仮名遣意見」「臨時假名遣調査委員會議事速記録」一九〇九年一月)
と、鷗外は「ちくしやう」「ゆしゆつ」など、現在では小文字で表記されているものを大文字で書きあらわしている。また、カタカナについても、
目の前の闇をバツクグラウンドにして、空中に画いてゐる。
(森林太郎「クサンチス」『新小説』一九一一年七月一日)
と、「バツクグランド」と「ツ」が大文字で表記されていることが見てとれる。 鷗外に代表される表記がやがてどのように変化したのかを明確にするために、長命で知られる歌人、土屋文明の『土屋文明全歌集』(石川書房一九九三年三月五日)の表記のカタカナをたどることにしたい。
『往還集』(岩波書店一九三〇年十二月二〇日) 「バラツク」
『山谷集』(岩波書店一九三五年五月二〇日) 「ヨーロツパ」
『六月の風』(創元社一九四二年五月二〇日) 「カーネーシヨン」
『小安集』(岩波書店一九四三年六月二十五日) 「トラツク」
『韮青集』(青磁社一九四六年三月二十九日後記)「カーペツト」
『山下水』(青磁社一九四八年五月十五日) 「モウパツサン」
『自流泉』(筑摩書房一九五三年三月三〇日) 「ジヤガイモ」
と、戦前戦後を通してカタカナの促音拗音は従前通り大文字で表記されていたのである。ところが、『青南集』以降様子が変わる。
今日は月の特売日にて煮えてゐるシチューの肉のかぐはしかぐはし
わが為に曲りて煮えし今朝のどぢやう君食はぬ分我食らふべし
『青南集』(白玉書房一九六七年十一月十二日)
と、このように「シチュー」などのカタカナの促音拗音が小文字表記に変わるが、平仮名の「どぢやう」は大文字のままである。このように土屋文明全歌集では、一九六七年(昭和四十二年)の『青南集』をさかいに、カタカナの促音拗音を小文字で表記し、平仮名の促音拗音表記は大文字で表記するようになっている。はたして、この現象はいったいどういう理由であろうか。
実はこれは、第二次大戦後の規定された現代仮名遣い(一九四六年)でカタカナの促音拗音に小文字を用いるように決められたことに原因があったと考えられる。しかし、この時、平仮名の促音拗音の表記については特に決められなかった。世間一般的には、平仮名の促音拗音も、カタカナにならって小文字がもちいられるようになるが、公文書では、相変わらず平仮名の促音拗音は大文字表記であらわしていた。つまりそれが、当時の正しい日本語表記であると考えられた。よって土屋文明も、公文書の表記法にならったと見られる。公文書の表記の表記の慣例は、実に一九八八年の「法令における拗音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について」(一九八八年七月二十日内閣法制局総発第一二五号)の通達がだされるまでつづき、平成元年になってようやく改正された。土屋文明は一九九〇年十二月八日に百歳で亡くなるが、ついに表記の改正をしないまま他界している。
今日なお、短歌の旧仮名表記において、平仮名の促音拗音が大文字、カタカナの促音拗音は小文字で表記されるのは、おそらく、この平成元年以前の公文書の表記法が残ったものと見られる。
今日では、短歌の世界でも現代仮名遣いが増えている。歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)を現代仮名遣いに対するものと考えるなら、カタカナの促音拗音を大文字で表記するほうが、区分がわかりやすいが、戦後の表記の混乱をひきずったまま、いまに伝わっているという、興味深い表記法の現象である。