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翳るつばさ                             楠  誓 英

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崖づたふ夜の電車にひとり酔ふ離れゆく都市はすでに崖(きりぎし)

春すぎて夏草に病む 青衣の歩哨たちわれを看病(みと)る山国

一村の硝子いつせいにきらめきて野にくらやみけりわれの翼よ

夏の夜の涸れゆく沢に急かれつつ石の階下りるわが青年期

娶らざりき。夜の稲妻の遠ざかり水銀柱はひそかに立てる

(注:互換性の問題から旧字を新字に改めた。)

 

前登志夫は吉野に住み、吉野を詠み続けた歌人というイメージがある。しかし、前は三十二歳に吉野に定着するまで、各地を遍歴し、また、詩壇との積極的な交流のため都市に青春を費やしたのである。しかし、十九歳の時、二十五歳の兄がビルマで戦死したため、父祖以来の山林を継ぐことが明らかとなる。そして、放浪を経て吉野に帰還する。兄の死からくる死への憧憬、生への罪悪感、都市への憧れと幻滅、故郷の居場所の無さ、『子午線の繭』には暗い青春が詠われている。「帰るとは幻ならむ麦の香の熟るる谷間にいくたびか問ふ」や「壜に映るいびつの顔のつぶやけるただ一語のみ 都市こそ幻影」には、都会にも故郷にも馴染めない若き前の逡巡や懊悩が見える。

まず、一首目であるが、本歌集には「崖」という語が頻出している。特に印象的なのが、「崖づたふ電車」である。それは、「野の涯を幾めぐりする朱鷺色の電車の音や受胎(みごもり)の息」とあることから、淡い桃色の電車であったのであろう。また、「ひつそりと背骨摧けて臥する夜の最終電車きりぎしにつたふ」(『鳥獸蟲魚』)とあるから、実際に崖を沿って走っていたと考えられる。都会から故郷をつなぐ唯一の電車である。詩人として大成したいと願い都市に出て、夢破れた前にとって「崖づたふ電車」は、夢と現実との危うい狭間を走っている自己自身のように見えたに違いない。その電車に一人酔いながら、ふと来し方を見ると、都会はすでに崖の下に広がる光となっていた。実景であろうが、「都市はすでに崖」にはもはや戻ることの叶わないという前の苦しい胸の内が表れているように思う。

二首目、「青衣の歩哨」が印象的である。初夏に病に臥せっていると、青い衣を着た歩哨たちが自分の周りを取り囲んでいるのである。「青衣の歩哨」であるが、歌集中に「塔に、むかつて行く ビルマで死んだ兄よ シッタン河の雨季を流れた廿五歳の太陽 夭折したぼくの青い太陽」とあることから、ビルマで戦死した亡兄たちを指すのであろう。ここには、逃れることのできないものとして兄の死があるのだと思う。

三首目であるが、瑞々しい歌である。「かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」とあり、前には明るさとかなしみ、光と影がつねに内在していた。ここでも、村中の硝子がきらきらと輝けば、反対に翳りを帯びる自己の翼(青春)を感じざるをえないのである。

四首目も暗い青春が詠われている。「夏の夜の涸れゆく沢に急かれつつ石の階下る」が「わが青春期」の比喩となっている。夏の夜にゆっくりと干上がる沢は周りから外堀を埋められ、大人になることを急かされているような印象を受ける。しかも、急かれながら石の階段を下るのである。明るい幸福などあり得ない。前には兄の死を受けて、家を継がねばならぬという閉塞感があり、そのことがこの歌によく表れているように思う。

五首目であるが、前は三十六歳の時に結婚した。当時としては比較的晩婚ではなかろうか。「娶らざりき。」とあることから、未婚の時をしばし回想しているのである。下の句は難解であるが、おそらく、「稲妻」は「妻」であり、未婚の時を考えるとき、稲妻のような今は遠ざかり、青春の象徴として水銀計を立てたのではないであろうか。ロマンチックである。

青春とは、暗く危ういものである。『子午線の繭』には、きらめくような若さと翳りのある内省が内在している稀有な歌集である。翼は翳っていたのである。

2017年10月
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