レニングラードの雪 楠 誓英
街灯の黄光の中に立つ一樹片側は夜に削られてゐつ
光の中うつむき続ける細き男近づけば古き街灯になる
片側を闇にのまれてそよぐ樹を観ればかつてのわたくしならん
自転車は倒れ後輪が回るまはるさうして静まるまでを見てゐき
透明な傘ゆゑ君の両肩は灯にさらされて夜に沈みぬ
梁ふかくわたすまひるの教室にずつと昔の生徒がただよふ
跳ねてゆくガゼルを追ひて陽のたまる教室のドアにたどり着きたり
雨のなかすれ違ふ人の透けゆきてあまたの墓標あらはれてゐつ
言ひ過ぎたぼくを見下す瞳かと夕空を背に皇帝ダアリア
所詮すべて自己愛なのかと思ふとき傾いた電柱ばかりあらはる
封筒に残る亡祖父(そふ)の名に線ひけば凍土の匂ひの夜が降りて来
庇の字が疵に見えくるこの夜更けきずばかりもつ人のすむ家
水中より君を眺めし少年のいまのその光(かげ)眼底にあり
半身を窓より出して風を受く君はいつの世の水夫であつたか
吊革を両手でつかみうなだれる傷兵のごとく輝く青年
自傷痕を隠す少女の瞳の奥 レニングラードに雪は降りけむ
今年詠んだ歌を並べてみると自分の歌にはある傾向があると思いました。それは、静まってゆくもの、傷ついたものに美を見出すということ。そのことである経験があります。高校時代、世界史の資料集でローマ時代の彫刻「瀕死のガリア人」を見て感銘を受けました。その彫刻は、面は深くうなだれ、もはや生気を失った肢体が右手によってかろうじて支えられているといった傷ついた青年の像でした。そこには間違いなく、「絶望」がありました。けれども、私はそれを可哀想だとか陰鬱だとかは思いませんでした。むしろ、美しいなと思ったほどでした。そうした感覚は、後にドストエフスキーを耽読することにつながっていきました。ドストエフスキーも「絶望」を描いたからです。