短歌とTANKA

泣き別れ処理

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     泣き別れ処理       大石真由香

 

ことばが行を跨がり書かれたることを「泣き別れ」と言ふと知りし十代

 

検索用のプログラミングの手順にて泣き別れ処理とふ言の不可思議

 

別名で保存してゐたそれぞれの記憶が溢れ出づるこの夜更け

 

眼前になき何者かの面影を追ふ眼差しの君をみてゐた

 

鴨川の縁(へり)に居並ぶカツプルの一対となる夢を見る午後

 

道行く人を観察したる彼の横 我らはいかに見えてゐるのか

 

何者にもなれぬ孤独を抱きつつ過ぎ去り行きし我が二十代

 

空気には季節ごとに匂ひがある ぜんぶ昔の記憶の匂ひ

 

夏の夜は花火の匂ひ夏の朝はラヂオ体操の匂ひしてゐる

 

金木犀匂ひくる宵 人はきつと何かを諦めながら生きてゐる

 

 

十代後半から二十代前半にかけての数年間、短歌をやっていた。結社に所属していたこともあった。が、個人的な都合で辞めてしまった。それから八年近くが経過した。私の二十代は、大学院生として、私立高校の非常勤講師として、将来が見えない中でもがくように必死に駆け抜けてきたという感じがする。趣味を持とうという余裕もなかった。ところが三十代に入り、環境と心境に変化があった。昨年に結婚し、今年度には日本学術振興会特別研究員という立場を得て、三年間の任期付きではあるものの、研究をしてお給料をいただける身分になった。夫はヴァイオリン弾きである。プロではなく、公務員として働く傍ら、趣味で社会人オーケストラに所属している。「芸術にしか興味がない」という彼は、職場での人付き合いは苦手なようだ。一方、音楽だけでなく、小説などの本は海外のものも含め、かなり読んでいる。また、美術にも興味を持っているようで、私も彼に付いて色々な美術展に行った。そんな夫と暮らし始め、私は仕事と研究の往復しかしていないことを寂しく思うようになった。何か夫とは別の、趣味と言えるものを持たなくては、と。短歌を再開した理由の一つには、「失われた八年間を取り戻す」ということがある。しばらくは過去を振り返る歌が多くなるかもしれない。かつて共に切磋琢磨した旧友たちは遙か先にいて活躍している。そういう焦りもある。しかし、今度こそ「趣味は短歌です」と自信を持って言えるよう、継続していきたいと思う。

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