作業着姿で日々の仕事をしている私と違い、父親は都市部に勤務するサラリーマンだった。定年を過ぎて細々と自由に暮らしている父は何を思い、働き、父として過ごしていたのだろう。
国道の路側の白き線伸びて生まれ育った神戸へ向かう
グーグルアースの中に実家の屋根はあり 神戸市兵庫区下沢通
あの角を曲がれり仕事へ行く父を見送る我に我は手をふる
祖母(おおはは)の生死も知らずストリートビューに過ぎ行くふるさとの家は
客船の灯り静かに離れゆく夜の港の海水を汲む
もう二度と戻らぬ港の海水を汲むふるさとを離れる儀式
父となり一年(ひととせ)過ぎぬ 三十年過ぎても我の泉なるべし
六十兆も細胞は無し ししむらに宿る半数「森垣」の血は
作業着を畳むたまゆら降る雨よホワイトカラーの父に降るべし
秋雨に公孫樹散りゆく道をゆく田舎住まいの息子ぞ我は
人々の群れを見下ろすあのビルの明かりの一つが父親だった