短歌とTANKA

前登志夫歌集『子午線の繭』よりわたしの好きな歌5首    大崎瀬都

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どの神も信じてをらずさりながらけものみちゆきし ゆきしものあり    (見者)

けものみちとは、猪や狸などの生き物が通る山中の道のこと。どの宗教の神も信じていないはずの私だが、けものみちを見ていると、そこを通る生き物や何か崇高なものの存在を感じる。戦慄を覚えるほどに。

靑吉野とほき五月に料理せし山鳥の胃に茶の芽匂ひき         (冬の合唱)

新緑の光につつまれる五月の吉野。昔の五月のある日、獲りたての山鳥を割いて料理していたら、香ばしい茶の匂いがしたことがあった。山鳥は茶の芽をついばんだばかりだったのだ。血と茶の匂いに生命の繋がりを知る。

合唱のごとくにふれる峡の星ふゆしろがねの橋をわたりて         (冬の合唱)

山と山の間の峡谷にかかっている橋は、凍てついて冷たく寂しい銀色である。橋を渡りながら夜空を見上げると、無数のさまざまな星々が、私に向かって降ってくるようだ。星々の透き通った歌声が聞こえてくる。

きみの指に晝の螢をつたはしむゴムぐるま原の草に溺るる       (水は病みにき)

ゴムぐるまとはリヤカーのことだろうか。荷車のなかで、少年は少女の指に昼の螢をつたわせる。幼く初々しい語感のゴムぐるま、発光していない螢であるが、ゴムぐるまは少年の心のように草原の草に溺れている。

夕映は燃えゆく巨鳥ものなべて無名となれる谷閒はありき         (候鳥記)

森の空におびただしい群鳥が飛び交い、夕映の空はあたかも燃えていく巨大な一羽の鳥のようだ。輝く鳥の羽に覆われて、谷間に沈んでいるものすべては、まだ名前を持たなかった原初の存在に還っている。

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