現代短歌には、日常生活ではほとんど使うことのない言葉がしばしば使用される。それらがどのような由来をもつものかを確認してゆくこともまた重要なことだろう。今、「行けり」という語について考えたい。
「行けり」は近現代短歌ではよく使われる。与謝野晶子の『みだれ髪』に、
枝折戸あり紅梅さけり水ゆけり立つ子われより笑みうつくしき 与謝野晶子『みだれ髪』
と「ゆけり」が見える。この歌の舞台は、京都粟田山の辻野旅館(現在の蹴上げの浄水場の付近にあった)とされている。「水ゆけり」は、清冽な川の流れがそこにある、というほどの意味にとらえられる。また、中城ふみ子の
画廊のなか求めつつゆけり蜂の羽音匿されてゐる林はなきか 中城ふみ子『乳房喪失』
という歌の「ゆけり」は、過去の「私」の行動に対しての回想的である。寺山修司の、
アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ 寺山修司「チエホフ祭」
という歌の「ゆけり」は、今しがたおこったできごとをさす。
このように、近現代短歌の「行けり」は頻繁に使用されている。
ところが古典のなかの「行けり」は、万葉集に、
筑波嶺に我が行けり(行利)せば霍公鳥山彦響め鳴かましや (万葉集 巻八・一四九七)
という高橋虫麻呂歌集の一例のみである。勅撰二十一代集をはじめ、源氏物語や枕草子、その他の古典には見られない。万葉集に一例のみ見えるのは、あるいは東国の方言であったのかもしれない。
では、古典に例のない「ゆけり」が、なぜ今日、古典語のような顔をして頻繁に使用されるまでになったであろうか。この謎を解く鍵は明治時代の翻訳語にある。
森鴎外の『即興詩人』を見ると、
「ひとり徐に歩みゆけり」
「エネエアスが舟は波を蹴て遠ざかりゆけり」
「山の上に登りゆけり」
と三度「ゆけり」が使用されている。『即興詩人』は、アンデルセンの小説『Improvisatoren』を鴎外が翻訳したものである。
明治二十五年から三十四年まで「しがらみ草子」などに断続的に発表され、明治三十五年に春陽堂から出版された。
『即興詩人』は、所謂万葉調の擬古文体で書かれている。鴎外は、外来語や文の際して、しばしば万葉集のなかに見られる珍しい語彙を使用している。たとえば小説『青年』に「係恋(あこがれ)」という言葉があるが、これは外国語の概念をあらわすのに万葉の漢語を使用したものであったことが小島憲之によって指摘している。「係恋」は鷗外の影響を受けた斎藤茂吉などに使用され、佐藤佐太郎や北杜夫も使用している。
「行けり」もまた、アンデルセンの翻訳に際して鷗外が苦心した語であったと考えられる。「ゆけり」は、鷗外以前には、本居宣長などが万葉集の特殊な語彙として取り上げており、他にはほとんど見られることのない言葉であったが、前掲の歌のほかに、大正二年に刊行された斎藤茂吉の『赤光』などにも
たらの芽を摘みつつ行けり山かげのみ地ほそりつつ寂しく行けり
と、「行けり」を用いた歌が見える。今日では、短歌の一般的な用法として抵抗なく使われている「ゆけり」であるが、古典語のような顔をして実は古典にはほとんど出て来ない不思議な言葉である。