預言と永遠 喜多弘樹
最近になって、前登志夫のこんな一首が気になり始めた。
人間のみな亡びたるその後も地球はゆるく流轉をすらむ 『落人の家』
同じような歌が初期の頃の歌にもあった。
人間のみな滅ぶ日を鳴き出づる蟋蟀はくらき山の斜面に 『繩文紀』
前は晩年近くになって「できるだけ不吉な歌は作らないようにと思っているのだが」とつねづね口にするようになったが、それは「言葉のもつ預言性」に畏怖のようなものを感じていたからだろうか。たとえば、救急車が家の前に止まったという歌を作ると、実際にその通りになったりする。偶然であると片付けてしまえばそれまでだが、言葉を霊異のこもった「もの」として認識すれば、そこには過去から未来へと往還する時間がゆるやかに流れている。日本古来よりの「言霊」という言葉で言い換えられることもできようが、そういう一般的な思想臭とは少しニュアンスがちがう。ほとんど詩人としての直感に近いものだろう。
前は、人間はいずれみな亡ぶんだと詠んだ。第九歌集でそう詠み、ぐんと遡って第三歌集でも「人間のみな滅ぶ」日を予感のように詠んでいた。その間三十年の歳月を閲している。最近になって、私が私の無意識の底から立ち昇るように湧き、そしていつしかつぶやくように口に出るのが冒頭の一首である。なぜだろうか。
時代がどうにも行き詰まり、心が荒廃し、若い人々が夢を語ることが少なくなった。そんな先の見えない下り坂の時代に生きていかざるををえない現実も影響している。また、東日本大震災から収束のすべない原発事故への無念の思いもある。
僕は、いずれ人間は滅びていくと思います。しかし、せめて滅びいくのを多少は遅らせたい。少しでも人間生活を充足させたい。そのための示唆が、山の暮らしの中にあるような気がします。/しかしねえ、もういいじゃないか。今さらどうしようもない。滅びるなら滅びると覚悟を決めて、せめて最後をきれいに生きたい。 (1992年「サライ」6月号)
裏の槇山のてっぺんに、橡の古木があり、中に大きな空洞がある。そのほこらに入って、茶粥に梅干し、山菜と川魚だけを食べる。そして、樹林をわたる黒南風(くろはえ)の湿った風に吹かれて、疣(いぼ)のような悔恨の情をプツプツさせて蹲るヒキガエルのように、父祖の山河を眺めていたいとも語っている。こんな一首もある。
山上の花原にきておもひをり人ひとりだに救へざりしを 『落人の家』
これは若い頃からの念願であった、みちのく早池峰山を登攀した折の作。歌のもつ力の限界を前は心得ていた。と同時に、歌というものの永遠性をも信じていた。冒頭歌の「地球はゆるく流轉をすらむ」にこめられたかなしみと虚無感と、やさしさ。無限の宇宙へと放たれたしらべがいい。あとさきはわずかの差、みんな滅んでいくのである。