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【エッセイ】  鬼追いー薬師寺修二会ー    田中 教子

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 【エッセイ】鬼追い薬師寺修二会ー    田中 教子

昨日はもう遠い昔のようだ。薬師寺修二会の僧達の不思議な所作、法螺貝、太鼓の勇壮な音。僧達の経の声は叫びにちかく、灯明もとにそれらは幻想的であった。

ふと、鬼の話を聞いた。鬼追い式の鬼の役になる人は、儀式において、ほうれんそう、豆、高野豆腐、昆布、酒などを食すという。その食べ物とは、

ほうれん草  (角の見立て)

 豆     (鬼の目の見立て)

高野豆腐  (人肉の見立て)

結び昆布    (皮の見立て)

など、鬼の食物である。このほかにも、人の髪や骨、血をあらわしているものもあるらしい。鬼とおなじ食物を喰い鬼になる。一方で、人が鬼を喰らって鬼になる考えも混ざっている。いずれにしろ、食べて人ならぬものにはなろうという思想である。
 この人の肉をあらわす食べ物を食べて鬼になると聞いて、ふと、私の脳裏にキリスト教の教会で出される葡萄酒とパンが脳裏に浮んだ。キリスト教のパンと葡萄酒は、キリストの肉と血である。キリスト教徒は契約によりそれらを食するが、食べることで人ならぬ力を得ようとするあたり、両者は似ている気がした。
 人肉にみたてる食べ物は、 キリスト教ではパン、薬師寺では高野豆腐。どちらも白くてふんわりとしているところが似ていなくもない。キリスト教の葡萄酒は血だとすると、薬師寺の酒は何になるのか。あるいは、単にトランス状態になるために酒を飲むのだろうか。
人を食し、人ならぬ力を得ようとする思想は、古代よりあって、いまなおどこかで行われるているような気がする。思えば、一八〇五年、トラファルガー海戦で戦死したネルソン提督の遺体は腐敗を防ぐためにラム酒漬けにされたが、ネルソンにあやかろうとした水兵たちが盗み食いしたために、本国へ帰還するまでにすべてなくなってしまったという。インドのアゴーリの行者は神通力を得るためにガンジスから水葬遺体を引き上げその肉を食するという。

こんな不気味なことに思いをめぐらせつつ、昨日の薬師寺の修二会のことをおもいだすと、あのひょうきんな扮装の鬼たちが、まこと禍々しいもののように見えてくるのである。

 

ひらひらと身をひるがえす僧のいてその面(おも)しだいに鬼のごとしも   教子

 

 

 

 

 

 

 

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