短歌とTANKA

まつげのかげ      楠 誓英

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                   まつげのかげ       楠 誓英                           

 

十六の君のおもてにかげ落とすテニスコートの隅に立つさくら

 

きしきしと椅子をゆらして少年は雲を下からのぞかうと言ふ

 

風はただ螺旋の形に下りてきて非常階段でするサボタージュ

 

バスに乗れば顔のない男座りゐて気がつけば顔を落としたり僕も

 

回送の文字が光りてバスのなか登山姿の人らどこへゆく

 

いつせいに嘴を向けるスワンボート右から順にうなづいてゆく

 

ああきつと湖底にゆくのだ無表情に突つ立つたままの登山姿ら

 

別れたる彼女(ひと)の声かと振り向けば一体のスワンボートが揺れてる

 

私からわたしを捨てたきこのゆふべ電柱はいつせいに傾いてゆく

 

伊予柑に親指ふかくさし込みてまばゆき脳の断面を見つ

 

画面には悪い脳(なづき)と良い脳(なづき)映し出されて雨の夜の奥

 

ああ何か忘れたと思ひ振り向けば記憶の中にニコライ堂たつ

 

灯の下にかがやく夜のテニスコートわたしを放てば駆け抜けてゆく

 

答案のはためく音に目覚めたりそれぞれのやみ持ち手から手へ

 

映像は止まりてまなこつむりたる李(リ)香蘭(シャンラン)のまつげのかげよ

 

この世界と異界はほんの薄皮一枚で隔てられている、そんなことを思うことがあった。先日、東京を一人で歩いていると、不忍池で聞いたことのある声がする、ふと振り向くと、一体のスワンボートであった。私は、しばらくスワンボートと向き合った。また、回送のバスに乗る、同じ格好をした中高年の登山姿の集団を見た。彼らは、恐ろしく静かで、体が半分透けているように見えた。何かの宗教団体のようでもあった。そして、最近、運転中に李香蘭のCDを聴いている。すると、李香蘭の幻を見た。「夜来香」を唄う彼女のイヤリングが鈍く光り、まつげの影が長く伸びていた。もっと見ていたいと思ったところで、現実の風景に戻った。

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