短歌とTANKA

二人のうたびとへ―覚書のためのノートより―

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                  二人のうたびとへ ―覚書のためのノートより―   

                                                                                  喜多 弘樹

 大和国原の睦月なかばの空には雪雲がかかり、わずかにその切れ目から青空が覗いている。夕刻が近づくにつれ寒さが身にしみる。底冷えという盆地特有の寒さだ。久しぶりに帰省した。平城という小さな駅で降り、神功皇后陵のかたわらを歩き、十五分ほど歩くと私の実家だ。津風呂町という。昔は吉野の山奥の山村であったが、ダムができ、村が湖水に沈むことになったので、村人は奈良市の北の小高い山稜に移住を余儀なくされたのである。津風呂は「津振川」として『古事記』にも登場する地名であるから古くから人が棲み継いできた土地である。

 実家には定年退職した兄が今年九十二になる老母の介護をしながら暮らしている。時折、顔を見せるようにしているのだが、老耄の母は顔を見た瞬間だけは覚えているのだが、すぐに記憶を喪ってしまう。ただ、若い頃の記憶や兄や弟の誕生日などはしっかりと覚えている。つい先日まで一ヶ月ほど入院していたのだが、そのことすら忘れてしまっている。仕方のないことだろう。老いとはそんなものである。すべてを忘却するのではなく、目先のどうでもいいことなどは忘れてしまう仕掛けができている。したがって、ストレスのようなものからは解放される。命を繋ぐことだけを無意識に自覚していて、身のまわりのことも日々の出来事も時間や空間さえも削ぎ落としてしまうのかも知れない。

 翌日は、京都の西本願寺の報恩講に参るので、その足で京都へ。夜、たまたまつけたホテルのテレビで吉本隆明のことを特集していた。たしか、「知の巨人」という番組だった。最初に、車椅子での講演の模様が映し出され、そこで奇しくも親鸞について語っていた。その言葉の一節が妙に耳にこびりついている。「人間はねえ、いいことをやっていると思っている時には、悪いことをやっていると思ったほうがいいんですよ。逆にねえ、悪いことをやっているんだと思っている時には案外といいことをやっているものなんです」、これだけではなかなか吉本の意図が伝わってはこないのだが、どうやら親鸞の「悪人正機」について論じた折の話だったと推測した。他人の借り物の知識や言葉ではなく、自分の言葉で表現し、物事をつねに根本から考え直すことを一貫して試行してきた吉本らしい。だが、話す言葉は平易であればあるほどに、その思索の深さ広さに圧倒されてしまう。『共同幻想論』や『言語にとって美とは何か』などの代表的な吉本の著作を読むことが私どもの学生時代のいわば通過儀礼であった。正直、わからなかった。しかし、わからないままに読むこと自体に価値があった。
さしあたって、短歌とは関係のないざれごとに過ぎないのだが、なかなか現代の若い世代の歌について論じきれない私じしんのもどかしさがあり、どうにもやりきれぬのである。ここに、二人の若い歌人がいるとしよう。そして、作品に目を通したとしよう。そうしていると、私の居場所がどこにもないことにはじめて気づく。苛立ちあせり、底知れぬさびしさに打ちのめされ、身動きができないのだ。思考が停滞する。目の前が真っ暗になる。外はこんなにまぶしいはずなのに、どうしたものなのか。

  背広着し見慣れぬ吾の内にある琥珀の色の夕雲ひとつ

  水面に飛び込み台の影くづれまた一人水に入りゆく少年

  貸し出しの形跡少なき詩集より乾いたみかんの皮がこぼれ
  る
  大地震に崩れた家の天井に十二の吾がまだ住んでいる

  狂ふとは狂ふおのれを知らぬこと 白壁に吾が影の伸びゆく

  生と死がなひまぜになる夕ぐれに亡兄に似た人影が立つ

楠誓英歌集『青昏抄』より。第一回現代短歌賞の受賞者である。

  産みたての朝の光を培養し夜毎グラスに入れて飲むべし

  八月の地面に落ちた花影が我より人間らしく思える

  ふるさとは古新聞の中にある小さき記事のごときぬくもり

  けんけんぽ 道に書かれし輪を飛んで けんぽ けんぽで家に

  東より赤き月出ぬ あの月は組織を離れ独り立つもの

森垣 岳作品。第二回現代短歌賞の受賞者。その受賞作(雁部貞夫選)より。

 二人に共通している点は、二十代の若いうたびとであり、幼馴染みであり、短歌の世界へ誘ってくれた田中教子を師匠として、やさしい姉御として慕い、結社誌「アララギ派」に所属していることである。二人とも歌がうまい。うますぎる。受賞に至ったのもむべなるかな、である。
しかし、一般にいわれる写生を基本としたアララギ流の詠風ではない。どうしてだろうか。もっとも、一口にアララギといっても、斎藤茂吉と島木赤彦、土屋文明、佐藤佐太郎や近藤芳美の歌風や背景にもつ世界はそれぞれに異なっているので、一括りになどできないのだが。とりわけ、前登志夫の言葉(『山河慟哭』)を借りれば、「自然を見ることは同時に見られることでもあった。そうした自然のもっているデモーニッシュな性格に、茂吉は誰よりも敏感であった」茂吉と、「まちがっても自然のがおのれに襲いかかったり、声を発したりすることはあるまい。ゆきとどいた計量操作が秘められている。それだけに覚醒した近代の詩人のタイプである」佐太郎とは、大きく詠風も世界も異なっている。 

 そんなふうに考えると、楠も森垣も、歌に詩的想像力をたくましく吹き込むかたちで、定型と向き合っているというべきだろう。もともと歌には、否応なくしらべがある。これが曲者というか、歌の命脈を千数百年の長きにわたって繋いできたのだから、その定型のうちへと無意識のうちにおのれという主体が運び込まれてしまっている。その必然性がよくも悪くも作品に孕まれている。これも、師匠でもある田中の造詣深き『万葉集』からの影響なのだろうか。そういえば、二人ともに、かつて「アララギ派」を標榜した『月林船団』という短歌アンソロジー(ながらみ書房)にも参加していたと思う。

 個別の作品の鑑賞をしてみてもあまり意味をなさない。批判めいたことやうわついた世辞を述べてみたところでむなしいだけだ。私にとって興味深いのは、彼らがいかなる文学の毒を浴び、そしていかなる文学という魔界への通過儀礼を果たしているのか、という一点に尽きよう。言い換えれば、もう少し、韜晦にして、意味としての明快さを壊し、名状しがたい一世界と向き合う方向もあっていいだろう。そうなれば一首一首のうまさもいっしょに崩れ去ってしまうだろうが、そこから若い世代の短歌そのものを問い直してみたいのである。もし、興に乗るままに、わけのわからぬ難解歌の一首でも作ってみてはくれぬか。どこかの新人賞をとった、ジャンルをまちがえた浮薄な歌人もどきがうんぬんされる時代なればこそである。可能性を無限に蔵している若きうたびとなればこそ、である。

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