いまはもう亡くなってしまったが、かつての歌会でとある先輩歌人が「若いときは若い歌をおおいに作るべきよ、わたしはもうおばあちゃんだから年老いた歌しか作れないから、うらやましいわ」とおっしゃった。その時はそんなもんかなあと思う程度だったが、30歳を過ぎてみると、やけくその20代を歌うことができなくなっている自分に気づき、しみじみあの時のアドバイスの重みを感じている。はたして40代になった頃、僕は年齢相応の「おっさんの歌」を詠んでいるのだろうか。
やわらかき腕に触ればほの甘きパンを想へりあたためておく
チュリップの球根ほどの手の中にやがて巨木となるための種子
天窓の向こうの雲と語る子の記憶もいつか消えてゆく雲
寝たままの子を抱きながらひとひらの雲形成の原理を語る
身に合はぬ服を着せれば熱帯の小鳥の声で鳴きて喜ぶ
鳥類に産まれることもできたのだ我が子の背なの産毛に触れる
心臓が脈を打ちをり初雪の夜の色した画面の中に
ぬばたまの黒き画面に現れて白き胎児が脈打ちにけり
崩壊の音に飲まれて目覚めれば二十年(はたとせ)過ぎて子を抱いてゐる
産まれ出る命よ秋の一日を世界の王となりて羽ばたけ