短歌とTANKA

20160821大阪歌会&読書会

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連日35度を超える猛暑の中、ナヅノキ歌会が大阪にて開催された。

午前は歌会を行い、午後からは読書会として前登志夫「樹下集」を読んだ。

この日は楠さんの誘いにより、田上さんの初参加があった。

初参加の田上さんは

紅椿散るがごとくに猫の四肢復路のわれの道標たれ

という作品を出されておられ、非常に評価が高かった。一読では何のことか判然としないが、何か鮮烈な美しさを感じさせる歌であることはわかる。

歌は「紅い椿が散るように(死んでいる)ネコの肉体よ、帰る道を示す道しるべになってくれ」という意味である。バイクを運転中、ネコの死骸を見た作者はこれを哀れに思い、せめてその死が無駄にならぬよう、帰りの道しるべとしての意義を持たせたのだという。

初参加とは思えない奥深い作品として大いに評価された作品であった。

楠さんの歌もまた独特な魅力を持っているが、以前に比べて人間の体温を感じる歌が見られたのが魅力的だ。

正面の顔はなぜだかおぼろげで横顔ばかり金魚も君も

これは、君(恋人?)と行動を共にする場合、同じ方向に向いて進むため、必然的に正面から「君」を見る機会が横顔を見る時より多くなってしまう。それゆえ正面からの顔が「おぼろげで」なのだろう。

「君」と「金魚」という異質なものが並列することで発生するバランスも魅力的だ。個人的にはシャープな体型の和金やコメットではなく、愛嬌のある琉金のイメージだ。

 

昼食をはさんで前登志夫「樹下集」を読む会を行う。

前登志夫の第四歌集で50代の作品を収録した歌集である。著名な歌である「銀河系そらのまほらを堕ちつづく夏の雫とわれはなりてむ」がよく知られている。

参加者から聞かれた意見として共通に見られたのは「鬼」の表現であった。鬼とは本来、恐るべき存在の象徴として描かれるが、歌集全体から通して感じるのは鬼と人間の境界が非常に曖昧であって、自分も山に棲む鬼であり、自分以外の人間も鬼として描かれる点が興味深かった。

特に歌集最後の一連である「春の鬼」は歌集の中でも特に魅力的な歌が惜しげもなく並べられている。

凍星(いてほし)のひとつを食べてねむるべし死者よりほかに見張る者なし

一見空想の歌であるが、田中さん曰く吉野山中では夜毎灯りのない夜に包まれるため、こんな歌の感じが非常に共感できるのだそう。

吉野の夜を知らずとも、この歌の圧倒的な魅力は十分伝わる一首だ。

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