電柱が電柱に傾いてゆく夕べわたしのなかのあなたを外す
抱かれしときにあらはる金色の葦のそよぎのなかゆく舟は
村に火をつけし少年内にゐて炎(ほむら)にわれを沈めやうとした
まつ白なレインコートをかぶりゐてひねもす車をかぞえゐるひと
轢かれつづけすり減る線路ひとひとり救はぬわれの後の世ならん
「これみて」のことばの下に貼りついた回転木馬が上下しはじむ
送りくれし木馬の画像を大きくす雨の墓原のうつるまなこよ
碧眼の青年のことば「ペテルブルク」すきとほり冬の一隅になる
靴のした透き通りただすきとほりしきいしになるいちようば、われも
石原吉郎を悼む 橋梁のきしみの長くラーゲリに向かひし列車に運ばれてゆく
緑色の街灯の下 凍土には人型あまた残されてゐる
石原吉郎生誕百年である。石原は、詩のことを「沈黙を語るためのことば」と言った。沈黙を通ったことばこそ真実なのだと思う。そのことを忘れたくないと思う。 私は石原の詩を読むたび、雪原に建つラーゲリの灯りに照らされていることに気づく。それは、底なしの絶望感と喪失感なのである。電車の中、夜道、石原の詩を思い出すたび、私はラーゲリの灯りがちらついている。不気味で静かでおそろしく非情な光である。光とは死なのだと気づく。